こんなご経験は無いだろうか?
「今夜、家で食べるよね?」と家族から問われた経験が。
問われたことに問われたように答えると
「今夜、家で食べるよ。」となる。
だがこんな返事をしたことはないか?
「なんで?」
この回答は全く的外れだ。
問われているのは「イエス」か「ノー」なのに
理由を問い返すなんてナンセンスなのだ。
だが、けっこうある。
この回答をした方の心の中にはいったい、
何があると想像するだろうか?
何があると想像するだろうか?
・過去、食べると言ってすっぽかし、もめた嫌な経験
・自分の挙動を不信がられているのではという不安
・自分に食事を用意することが面倒だと思われているのでは?
という疑心暗鬼
という疑心暗鬼
などなど色々とあるのかもしれない。
この話から私が何をお伝えしたいかと言うと、
「問われたことに問われたように」答えられない方には
邪念があるということだ。勝手な思い込みがある。
邪念があるということだ。勝手な思い込みがある。
家人は食べるかどうかだけを問うているのに
勝手に想像を逞しくして、的を外すのは
全て自分のせいだ、ということだ。
「今夜、家で食べるよね?」とだけ問うているのに、
『なんでそんなこと聞くんだろう?
わざわざ聞くのは、何か思惑があるからでは?』
そんな風に歪んで考えるから揉めるのだ。問題が大きくなる。
同じことが受験生にも言える。
設問文を素直に読まず、勝手に思い込んで読む。
そうして問われていないことまで答える。
結果、減点になる。それが積み重なり事が大きくなる、
つまり、不合格となる。
つまり、不合格となる。
設問分解は正しくできているだろうか?
そもそものところで、国語的に正しく読めているか?
邪念を持たずに読もう。
特に複数年受験の方は要注意。
テクニックだけに走ると、
相手(出題者)正しい声が聴けなくなる。
『こう解くべき』という邪念で設問を読んではいけない。
相手(出題者)正しい声が聴けなくなる。
『こう解くべき』という邪念で設問を読んではいけない。
素直に読もう。そして答えよう。
「問われたことに問われたように」