「飲食店はこだわりが強い店ほど生き残る」
コロナ前はこんなことを言われたこともあった。

それが今では、どんなにこだわりの強い店でも
変化を受け入れねば、明日が知れない時代になった。

さて今日は、あるラーメン屋の話だ。
こんな現代とは真逆の時代のお話しをしたい。

そのラーメン屋の創業者はその昔、
戦後の焼け跡で屋台を引き、
その味が人気を呼んで成功した人だった。

焼け跡の食べものが無い時代、
人々が必死に、汗を流していた時代に、
脂っこく、塩気も強く、太麺のラーメンは
人気になったのだ。まさに人々のニーズに
マッチしていた。

創業者はやがて、屋台で儲けた金で、港町近くの
問屋街に店を出した。近隣には労働者も多く、
またもここのラーメンは、人気になっていった。

その店は、今でいうなら町家だ。
低い軒先、二階には小さな縁台も突き出した古風な木造家屋だ。

1階はカウンターと階段下のくぼみの席だけ。
のれんをくぐり、ガラス戸を開けると
すぐに座れて、すぐに食事ができる。

汚れた格好の労働者も服装を気にせず食べることができた。
昭和の頃にはタクシーの運ちゃんたちにも人気だった。
車を脇に路駐して、すぐに食べることができたからだ。

一方、2階は小さな座敷が1室。縁台も突き出している。
小さな子供を連れた家族連れに人気だ。

この古風な2階で食事をした想い出を語る地元住民は多い。
ラーメンの想い出というより、
子供の頃の、人気店で家族と楽しんだ想い出だ。

ラーメンの味と家族との記憶、
これが地元で愛される理由だった。

時代が過ぎ、バブルも超えて、
3代目店主の時代となった。
その頃には、地元では最も認知度の高い老舗となっていた。
値段が高めでも、店の外まで客が並ぶ人気店だった。

だが、そこから大きな波が訪れる。
それは某TV局でのドラマ放映がきっかけだった。

さて、その大きな波とは。ここからこの店の戦いが始まる。
つづきはまた明日ね。

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