私には、ある夢がある。

うちの娘が万が一にも結婚して、子供ができたら
(ま、結婚しなくても子さえできればいいが)
その子に絵本を、思いきり感情を込めて読んでやることだ。

実は娘が幼かった頃、絵本を読んでやった記憶が
あまりないのだ。

私自身、懸命に働いていた頃でもあったせいか、
つい、夜は疲れて面倒になって、
子守唄は歌うものの
あまり本を読んだ覚えがない。

一方私が幼かった頃は、いつも寝床で
祖母が話をしてくれた。

老眼もひどいせいか、暗い中での本は、
ようよう読まなかったが、
色々な話をしてくれたものだった。

おとぎ話から、祖母の若い頃の話、
そして、戦時中の苦労話まで様々に。

私は、その、お話を聞く時間が大好きだった。

戦時中の話を聞いた夜は、夢で戦火の中に居たりした。
毎晩、色々な夢の世界へ飛び立つ入口のような気もしていた。

そんなことを思い出すと、娘にもせめてお話くらい
してやるべきだった、と後悔するのだ。
娘が感受性に欠ける気がするのもそのせいか?と。

例えば、歯医者の待合室で、
若いお母さんが、小さな我が子に絵本を読む姿に
出会ったりすると益々、
『孫ができたら本を読んでやるぞ!』と誓うのだ。

思いきり感情を込めて。
昔取った杵柄、落研出身の力を見せてやる!
そう思うのだ。

若いママさんたちみたいに、あんなありきたりの、
いかにも「かわいいママです」風には読まない。
必ずや、目眩く絵本の世界に、孫を誘う自信はある。
毎晩うなされるくらいのインパクトで読んでやる。

ところで、みんなは過去問を声に出して
読んだことがあるだろうか?

気持ちを込めて、まるで読み聞かせのプロのような
気持ちで呼んだことがあるだろうか?

一度やってみてほしい。

そうすると、読んでいるうちに、段落の間に
接続詞を入れたくなったり、段落の最後に助詞を
足したくなったりする。
また抑揚をつけて、間も取りたくなったりする。

つまり、筆者、この場合は出題者だが、
彼の気持ちを代弁しようと、感情を込めると
若干の修正を行って、強調したくなるのだ。

ストーリーの意味が解ればわかるほど、
強調したくなる。

言い替えれば、それほど
感情を表さないように、わずかな感情表現で
書いてあるということだ。過去問は。

だからこそ、それを読み取る読解力が
どうしても必要になり、その読解力が合否にも大きく
影響するのだ。

では、具体的にどのように読むのか、
それはまた明日ね。

それにしても・・・、私の夢までは遠い。
私が孫に読み聞かせできるようになるまでの道のりは、
実に遠いのだ。

孫の前に、まず、娘に彼氏をつくらねばならない。
あの、態度も身体もデカい娘に。

マジ、道は遠い・・・・。