彼らと会うのは何年ぶりだろう・・・。
優に15年は越えているかもしれない。
優に15年は越えているかもしれない。
一昨日は、診断士に合格した時の仲間と同窓会だった。
もちろん指導教官の先生も一緒だ。
この会の名称は「キラキラ組」だ。
キラキラ輝く診断士になるぞー!
そう願って、当時、付けた名前だった。
もちろん指導教官の先生も一緒だ。
この会の名称は「キラキラ組」だ。
キラキラ輝く診断士になるぞー!
そう願って、当時、付けた名前だった。
私たちが診断士になってあれから25年。
当時は「3次実習」という名目で、
15日間の実習、それも試験だった。
様々な業界の人間が集まって、
診断士の最終試験である実習に合格するため、
必死に頑張った想い出が甦る。
ある部屋を借り、それこそ朝から夜まで毎日休まず頑張った。
女性の私は帰ったけれど、他の男性陣は泊まり込みだった。
女性の私は帰ったけれど、他の男性陣は泊まり込みだった。
当時の私たちは素人集団だった。
初めは右も左もわからず、右往左往。
一社目の企業さんのヒアリングでは、
まともな情報を何も得られず、えらく困った。
そうして先生に泣きついてしまった。
まともな情報を何も得られず、えらく困った。
そうして先生に泣きついてしまった。
「もう一度、訪問するチャンスをください!」と。
先生は、これがまた士(さむらい)のような方だった。
優しいけれど、かといって甘やかさない厳しさがあって。
たまに、いただくヒントはまさに診断士視点そのもので。
私たちのような素人軍団には
到底思いつかないことばかりだった。
私たちのような素人軍団には
到底思いつかないことばかりだった。
そんな診断士思考のヒントをもらいながら、
必死に足で調査し、報告書も書いた。
結果はというと、一社目も二社目も大荒れだった。
涙と怒号も飛び交うような
激しいプレゼンの会になってしまったのだ。
激しいプレゼンの会になってしまったのだ。
だが、言い換えればそれは、
私たちの書いた診断報告書の内容が
社長さんたちに刺さった証だっだ。
そしてあの時初めて知った。
社長さんたちは命がけで経営しているんだと。
またこれも理解した。
診断士とは、社長の命がけの気持ちに
全力で応える真剣勝負の仕事なのだと。
あの時の仲間たちもさすがにいい歳となった。
だって25年だもの。
そりゃシワも多いに増える。
話題も健康と老後、相続の話ばかりになる。
それでも会えば一瞬であの頃に戻れるから不思議だ。
かけがえのない時を、
共に乗り越えた仲間との想い出は今も強烈だ。
かけがえのない時を、
共に乗り越えた仲間との想い出は今も強烈だ。
さてこれからは皆さんの番だ。
どんな仲間たちと出会うだろう。
そして、どんな社長さんたちと出会うのか。
大いに楽しみにしてほしい。
その時を夢見て、今日もがんばれ!